これは完全に私個人の考察で、
吾峠呼世晴先生が実際に看護師や医療職だったという公表情報があるわけではないです。
でも『鬼滅の刃』を読んでいると、ときどき妙に「医療職っぽい視線」を感じる。
病気や怪我、毒、薬、身体の衰弱といったモチーフが多いから、というだけではない。
私が一番そう感じたのは、弱っている人に向けられる視線です。
・「一番苦しいのは本人なのに、なぜ謝るんだろう」
猗窩座の人間時代、狛治が病弱な恋雪を看病する場面があります。
恋雪は、自分の咳がうるさいことや、自分のことを自分でできないことについて謝り、
そこで狛治は、なぜ彼女が謝るのかと疑問に思う、というシーンです。
本人だって好きで病気になったわけではない。
自分でできるなら、自分でしたいはずだ。
一番苦しいのは本人なのに、どうして申し訳なさそうにするんだろう。
私はこの視点が、妙に印象に残りました。
もちろん、病気になって周囲に迷惑をかけていることを気にして、
家族に謝る人はいると思います。
ただ、私自身が身近な人の病気や看病で抱く感情について知っているイメージは、
もう少しぐちゃぐちゃしています。
弱っている本人も精神的な余裕がなくなって、
不機嫌になったり、逆に平気なふりをしたりする。
看病する側も振り回されるし、疲れる。
心配しているのに腹が立つこともある。
「かわいそうだから優しくしてあげたい」だけでは終わらない。
お互いが当事者だから、感情の境界線が曖昧になる。
だから私は、病人を看病する場面で真っ先に出てくる論点が、
「本人が一番苦しいのに、なぜ謝るのか」
であることが、なんだか奇妙でした。
・私が想像する「身内の看病」と少し温度が違う
この違いを考えていて思い出したのが『サイレントヒル2』です。
この作品には、病気になった妻と、それを支える夫の関係が出てきます。
そこでは、愛情があるからこそ、
看病する苦しさも、苛立ちも、罪悪感も、
「もう解放されたい」という気持ちも混ざっていく。
私にとっては、こちらの方が「身内の長期看病」のイメージに近いです
好きだから心配する。
でも疲れる。
本人もつらいから周囲に当たる。
当たられた側も傷つく。
それでも病人を責めてしまった自分に罪悪感を持つ。
そうやって双方が巻き込まれていく。
一方、『鬼滅の刃』にはその混線が少ないと感じます。
炭治郎も禰豆子に対して、
「お前のせいで自分の人生がめちゃくちゃになった」と怒ったりはしない。
禰豆子も、「なんで私がこんな身体になった」などと
炭治郎に感情をぶつけるような描かれ方はほとんどされない。
二人とも苦しんでいるのに、それぞれが相手を気遣いながら耐えている。
かなり「光属性」な兄妹です
(妓夫太郎・堕姫はその反転として、私がとても好きなキャラです。)
・鬼への接し方にも、同じ距離感を感じる
そしてこの感覚は、病人の描写だけではなく、
鬼に対する作品全体の姿勢にも少し似ている気がする。
『鬼滅の刃』では、多くの鬼に「なぜこうなったのか」という過去が描かれる。
苦しかった事情は理解する。
かわいそうだった人生にも目を向ける。
でも、
だから人を殺しても仕方ない、とはならない。
事情には共感する。
しかし、やったこととは分ける。
鬼は倒す。
この距離感も、私には職業由来の割り切りに見える。
相手の苦しさに寄り添うけれど、相手と一緒に感情の中へ沈んではいかない。
その人の事情と、その人がしていることを切り分ける。
「かわいそうだから全部許す」でも、「悪いことをしたから全部切り捨てる」でもない。
・もしかして、弱っている人と仕事で接してきた人なのでは?
ここまで考えて、私は
吾峠先生は、過去に仕事として
弱っている人とかなり近い距離で接していたことがあるのではないか
と思っています。
そして「仕事として弱っている人と接する」と言うと
一番最初に思い浮かんだのが看護師です。
だから勝手に「元看護師説」として考察しています。
※もちろん、証拠はありません。
看護師ではなく介護職かもしれないし、まったく別の経験かもしれない。
単純に作者自身の倫理観が他の経験で育まれたのか、
取材や観察によってこの視点を得た可能性もある。
ただ私はどうしても、
家族として一人の病人に深く巻き込まれてきた人の目線というより、
境界線を持ちながら、何人もの弱った人を見てきた人の視線
のように感じています。
特に、
「本人が一番苦しいのに、どうして謝るんだろう」
そこに視線が止まること。
そこが一番大きい。
・作品全体に漂う「生きること」への距離感
吾峠先生は単行本1巻のコメントでも、
漫画は水や食べ物のような生活必需品ではないのに、
それでもお金を出して買ってもらえることはありがたい
という趣旨のことを書いていて、
これも私はかなり印象に残っています。
普通なら「漫画を買ってくれてありがとうございます」で終わるところを、
人間が生きるために本当に必要なものかどうか
という尺度で考えている。
『鬼滅の刃』にも、
病気、怪我、呼吸、血、毒、薬、死、回復、生きること。
そういう身体に近いモチーフがずっと流れている。
これらを全部並べてみると、やっぱり私は、
「この作者、過去に何をしていた人なんだろう」
と思ってしまいます。
吾峠呼世晴先生は、自分自身についてあまり多くを語らないので、
正解はたぶん分かりません。
でも作品の中に残っている「弱っている人を見る目」を辿っていくと、
私はどうしても、そこに医療やケアの現場にいた人のような感覚を感じる。
『鬼滅の刃』の優しさには、単なる「優しい物語」というだけではない、
弱っている人をものすごく近い距離で見ながら、
それでも飲み込まれず線を引いてきた人の温度を感じます。
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